Trip
Issue : 44
翠門亭|建物の魂と対話するように。過去・現代・未来を行き来して、再解釈された数奇屋建築の宿
奈良に住む人なら、もしくは、この土地に縁がある人なら、奈良市高畑町の交差点を通るたび、立派な門構えの数奇屋造りが気になっていたのではないだろうか。長らく手付かずのまま放置され、それでも存在感が消えることのない建物の行く先。無人となっても重厚な数奇屋建築は「いつか何かに生まれ変わるのでは」と期待せずにはいられなかった。そんな可能性を秘めた日本家屋が、2022年に一日一組限定の宿「翠門亭」として蘇る。
高畑エリアは、古くから春日大社の神職が住まう社家(しゃけ)の町であり、昭和初期には志賀直哉をはじめとする文化人が集まったエリア。
大正時代に建てられた築100年の数奇屋造りは、明治期から代々実業家として奈良の文化発展に貢献してきた関家の旧居だ。
住む人間がいなくなって朽ち果てていく関邸を、新たに蘇らせようと名乗りをあげたのは、奈良に拠点を置く「北条工務店」である。戦後1945年に創業し、現在4代目となった北条工務店の代表・愼示さんと満李子さんが施工を務めることとなった。ユニークなのは、北条工務店が施主も担った点だ。
「自分たちの仕事をより多くの人に見てもらうには、手がけた建物にゆっくり宿泊してもらい、インテリアや構造、サービスまで、五感で味わってもらうのが一番だと思ったんです」と満李子さん。
この再生プロジェクトには、インテリアデザイナーの片山正通さんも参加する。片山さんは一目見たときから、この建物に心を奪われたそう。
奈良文化を牽引した翠門翁の遺志を引き継ぐ思い
歴史を紐解くと、明治時代の奈良で有名な茶人であり実業家だった関藤次郎にスポットが当たる。東大寺と興福寺の間に佇む、池泉回遊式庭園「依水園」を手がけた人物だ。古都・奈良の文化を大きく発展させたとして「翠門翁」と呼ばれ、この関邸は翁の息子が暮らしていた建物である。
同じ奈良に住む者として北条夫婦は翠門翁に尊敬の念を抱き、そこから名前を頂戴して「翠門亭」と命名した。
古民家をエクスキューズにしない再生プロジェクト
「古民家を忠実に甦らせるのではなく、今後100年、発展する建物にしたい」。時代とともに変容する古都の文化を大切にした翁同様、多くの人がこれから愛する奈良文化の一端を担うとして、再生プロジェクトが始動した。
改修する上で大切にしたのは、古民家で残せる部分と、現代の技術の融合だ。残すもの・なくすものの取捨選択をしていく。
残すものを現代技術とどのように融合して、耐震性や安全面を確保するかも重視した。
柱の欠けた部分を埋木で補っているのが良い例だ。美しいコントラストは、過去と現代が交わる1つのアイデンティティを主張しているようで惚れ惚れする。
モダンデザインに移行していった日本の家具の過渡期に触れる
宿泊エリアの一階部分、ダイニングに入ると、ジャパニーズモダンの家具の美しさにまず圧倒される。
インテリアのセレクトは、国内外のヴィンテージ家具を扱い、その造詣の深さから日本のインテリア界で一目置かれる「GALLERY-SIGN」の溝口至亮さんだ。
満李子さん曰く「初めは別の家具を配置しようと思っていたのですが、“ここの建物にはヨーロッパの影響を受けた日本家具を置くのが自然だ”と溝口さんからアドバイスを受け、日本のミッドセンチュリー期に誕生した家具たちを置くことにしました」と話す。
とはいえ、誰もが名作と知るような有名家具は置かない。そこに、溝口氏の確固たる信念を感じさせられた。
柳宗理の曲木テーブルや椅子、坂倉準三のキャビネット、イサムノグチのAkariの初期モデルなど、作家や建築家の決して代表作ではない、それでいて作家のキーになる作品を選出している。そこがこの空間の面白さに拍車をかけている。
インテリアの歴史に名を残すアイコン的な家具は、ともすれば空間よりも存在感を重くする。作家性が勝ってしまうのだ。
あくまで宿は宿として、空間の心地よさに身を委ねて欲しい。そんな願いから、一見して作家とはリンクしない家具、または書籍でしか目に触れることのない家具を置いた。
結果として、その希少性にインテリア好きの多くは歓喜することとなったが。
家具やアートの歴史や文化に造詣の深い溝口氏だからできること。熟考の末の結果が、ここで見て取れる。
ダイニングからリビングを眺めると、窓の向こうに美しくも懐かしい坪庭と縁側があり、日本人なら誰もが郷愁に駆られることだろう。
二階に上がってみると、ダイナミックな木造軸組工法が目に飛び込んでくる。既存の天井に新設した丸太梁を柿渋で塗ることで、もとからあった木造部分との差異を感じさせない造りになっていた。
また、広縁を設けたことで、2階から坪庭を眺められるのも、一階と視点が変わって面白いところ。
吹き抜けにはスチール製の手すりが設けられ、スケルトン仕様に。寝室から窓の外を眺めるときに遮るものがないのも圧巻。起きたときから目線の向こうに美しい緑が広がる。
今は新しくても、のちに伝統となって残るもの
満李子さんは「新旧が混ざる空間は、豊かさの象徴だ」という。豊かさとは決して金銭的なことではない。
建物が持つ文化や歴史を継承し、そこに新しい息吹を吹き込む。数奇屋造りの様式美に、現代的な解釈を加える。
今世のことだけでなく、次世代のことを考える。これが北条夫妻が考える、豊かさの象徴である。
名作だけではない。建築との親和性が存在意義になるインテリア
さて、ここから翠門亭のインテリアをめぐってみたい。歴史から見て親和性のある家具とは?建築と文化の融合を深く考える翠門亭の思想を紐解いてみよう。
決して、これみよがしなギャラリーにしたいわけではない。
家具とアートを愛しながら、新しい文化交流ができるサロンを目指した。そこには、自宅のインテリアをつくる上でも、ヒントになるアイデアが大いにあるはず。
エントランスから続くダイニングに入ると、まず目に飛んできたのが曲木テーブルと椅子。これは柳宗理の曲木シリーズのヴィンテージ。
曲木技術に優れている「秋田木工」が製作したものだ。コンパクトなサイズ感ながら、4脚がしっかり収納でき、家族で使うのに非常に長けたデザインとバランス感である。
椅子は絶妙な造形で、ポイントはスタッキングが可能なところ。使うときも使わないときも、さすが実用性を考慮した柳宗理のデザイン。
居間のTVの前に置かれたのは、剣持勇の3シーターソファと天童木工のパーソナルチェア。
剣持勇のソファは、のちに天童木工のチェントロシリーズへ発展していくプロダクトだ。家族が自然と集まる暮らしの中心にあるもの」として制作され、時代が経ても色あせることない普遍的なデザインである。
その傍に、天童木工の一人掛けのソファを置くことで、家具が持つ時代の移り変わりが備わった空間となった。
二階の寝室には、写真家・ホンマタカシの作品が飾られている。これは奈良の吉野川をテーマに撮影したもの。ロケハンには北条夫婦も付き添った。朝5時の吉野川を訪れ、ピンホールで撮影したという。
夢か現かわからない寝室に飾ることをふまえ、あえて天地を逆に飾っているのも面白い。
西洋文化の影響を受けて独自に発展した、日本文化に触れるサロン
南の庭に面したラウンジと茶室は、会員制のサロンとして開放されている。前川國男のアームチェアや坂倉準三のラウンドテーブルを配置して、庭を眺める時間は格別。書店「POST」の中島佑介が選んだ希少な書籍も手に取れるので、ぜひライブラリースペースとしても活用したい。
サロンのキッチンスペースには、交流のある金工作家の中村友美の作品が並ぶ。モルタルの天板と壁に、美しい銅素材が浮かびあがる。
小上がりになった三畳間の茶室は、白漆喰の壁と赤松の床柱が美しいコントラストを描く。また、建物の前の所有者が麻の商家と関係があることから、畳の緑には麻を用いている。
様式美として確立している数寄屋造を、ときに大胆にデザインしていく。過去、現在、未来という時間軸が、この場所に滞在することで面白いほど繋がっていった。
かつての西洋文化がアジアに流れ、ミッドセンチュリー期のモダニスト達によって、新たな潮流として生まれた家具たち。過去から未来への軸、西から東への軸。ふたつの軸が重なり、さらに作り手がリスペクトを置いて翠門亭が生まれたことを、ぜひ感じて欲しい。
Editor’s Voice
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ちょうど友人が北条工務店に依頼して、住まいを建てていたので、北条工務店という存在に非常に興味があった。古く朽ち果てた建物に手を加えるとき、北条工務店の人たちは塩を舐めて作業に入ることがあるという。時が止まっていた建物に手を加えることは、さまざまなリスクが伴う。だからこそ、敬う心を持って、塩を舐めながら作業に入る。それはまるで土地と建物の鎮魂の儀式であり、魂との対話だと感じた。兵庫出身の私が幼い頃から見ていた奈良の翠門亭が、そんな過程を経て、私が生きているうちに復活したことをとても嬉しく思う。
Tokiko Nitta(Writer)
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Hinano Kimoto
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