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Issue : 32
沼津倶楽部|1900年から受け継がれ、再び命を注ぎ込まれた数奇屋造りと集合別邸
太平洋岸に位置する静岡県沼津市。黒潮からの温暖な気候、約10kmにおよぶ千本松原の風光明美な景色、富士山麓からのおいしい水など、さまざまな要素から避寒地として人気の別荘地。
ここに激動の歴史を辿った約3000坪の「沼津倶楽部」がある。戦時下では陸軍に接収されて将校の静養所となり、その後、割烹旅館やサロンへと姿を変えていった有形文化財だ。誕生から早1世紀、2023年に新生・沼津倶楽部として蘇った宿泊施設を訪ねた。
多くの名士や文人に愛されてきた沼津倶楽部
鎌倉時代の紀行文「東関紀行」で、素晴らしい松原と讃えられる沼津の壮大な千本松原。
日本百景に選出されたこの場所は、駿河湾の海岸線に並ぶ松原のおかげで塩害も少なく、紀行風土に優れることから、別荘地や療養所として古くから栄えてきた場所だ。
明治26年、大正天皇の静養のための御用邸が建てられて以来、さまざまな名士や文人がこの地に別荘を築いた。
若山牧水や本居長世など、多くの作家がここで季節の移ろいを感じ、松原や野生の鳥を眺め、創作の糧にしてきたという。
歴史の表舞台に出た、沼津倶楽部のはじまり
千本松原の別荘地を借りた一人に、大阪のミツワ石鹸の創業者・二代目三輪善兵衛がいる。今回訪れた「沼津倶楽部」は、もとは大正2年に三輪氏が建てた別邸だ。
茶人としても広く知られる三輪氏は、自身の好みを色濃く反映した茶室のある数奇屋造り「岩松亭」を建設。主の「千人茶会を開きたい」という願いを叶えるべく、当代随一と謳われた大工棟梁・柏木裕三郎がこの「岩松亭」を手掛けた。
瀟洒な和室、京都から移築された三畳台目の茶室、和洋折衷の洋間。京都の伝統に準えた低い鴨居、現代の技術では真似できない硝子や網代天井など、意匠へのこだわりが見て取れる。どの部屋からも茶会が楽しめるという歴史的な名建築だ。
戦後、GHQに接収されたものの、地元有志が一般社団法人として建物を継承するほど、沼津界隈で愛される存在。
今では駿河湾や伊豆近海の魚介を楽しめるモダンチャイニーズレストランとして「茶亭」は成り立っている。近年では将棋のタイトル戦「棋聖戦」が繰り広げられたとして、その名を広く知らしめた。
富士の伏流水が流れる水盤を眺めながら滞在
2008年には、敷地内に宿泊棟の「集合別邸」を増設。老朽化で長年利用されていなかった建物を修繕し、ロビーと8室の客室を備えた宿泊施設として蘇らせた。
担当したのは「二期倶楽部」を手がけた建築家の故・渡辺明氏だ。
木と土という自然要素を取り入れ、数奇屋造の伝統も受け継ぎ、有形文化財の茶亭に並ぶ名建築として息を吹きかえす。
建物の外観において印象的なのは、富士川の砂と土を積層させた「版築壁」だ。太陽の加減によって、土の硬さや柔らかさの印象が刻々と変化する。
また、屋根にも技が光る。180mm角の吉野杉を生命あるものとして考え、加工せずにほぼ無垢のまま屋根に使用。これらを隙間なく並べ、上から押さえるだけの技法を取り入れた。
宿泊棟ではこれらが美しい軒となって、宿泊客を守ってくれるのだ。
客室の前に設えられた水盤は、その静謐さに多くの人が目を奪われる。
ここでは、富士からの湧き水が懇々と流れ、季節によっては涼をもたらし、温もりをもたらす。水面には木立の姿が投影され、宿泊客は麗しい風景画の中に浸ることができるのだ。
吹き抜ける潮風さえも映し出し、誰もがここで過ごす時間に高揚する。
ここから、茶亭に向き合うように建立する宿泊別邸にて、住まいにまつわるヒントを探してみたい。
隣人との接点を生む、集合住宅という選択。
客室は8室のみ。全8室が端正に並ぶことから集合別邸と呼ばれる。
集合別邸に用意されたのは、バルコニー付きの洋室、和洋混在のメゾネット、小上がりタイプの和室など。部屋ごとに設えが違うのが特徴。
和の要素を取り入れたデラックス畳ルームでは、開放的なリビングスペースに畳敷の就寝スペースが併設され、どの時間帯でも体をゆっくり休める造りに。
そのほか大きな本棚が印象的な部屋など、宿泊するたびに異なる部屋に滞在するという楽しみ方もできるだろう。
「集合別邸」という在り方から学ぶのは、隣人との適切な距離感。大きな窓で外とつながる部屋は、前を通れば中が見えてしまうし、時には内と外で目が合うこともある。
一階の共有スペースには、客室の前にそれぞれベンチが設置されていた。
水盤を楽しみながら、隣室の人と挨拶を交わしたり、ときには語らいが楽しめる、憩いの場となっている。特に数日滞在する者同士では、なんとなく隣と顔馴染みになり、アルコール片手に夕涼みをすることもあるそうだ。
隣人の顔さえわからない都会暮らしのなかで、ベンチ1つでこれほど隣との境界線が緩やかになる宿の設えも興味深い。
集合別邸という新しい宿の形に、失われつつある近隣との関わり方や、現代の心地よい距離感を学んだ。
空間は“竹格子”で仕切る。
そんな隣との距離感がユニークな沼津倶楽部では、カーテンが使われていない。ほぼ全ての窓に用いられているのが「竹格子」を用いた網戸のような扉だ。
竹格子はもともと茶室や数奇屋によく用いられるため、茶亭との調和を意識した内装として選ばれたというが、これもまた、外と内、そして自分と他者との心地よい距離感をつくり出すこの宿のキーアイテムに感じられた。
リニューアルは、将来へ受け継ぐため。
さらに2023年のリニューアルで誕生したのが、京都の西陣織の老舗「HOSOO」が内装を手がけた2階の「沼津スイート」だ。
HOSOOは元禄元年に京都西陣において大寺院御用達の織屋「細尾」として創業。1200年前より貴族や武士階級の支持を受けて育まれてきた。
帯や着物を手がける職人技術から、独自のテキスタイルを生み出し、今回のスイートルームでは壁やソファ、テーブル、アートワークなど、さまざまな場所に西陣織が組み込まれている。
誕生から早1世紀、様々な人々の手で繋がれてきた沼津倶楽部。当時の記憶に耳を傾けながら改修を重ね、さまざまな担い手の技術が入りながら、未来に繋いでいく姿勢は、家づくりにおいても学ぶことが多い。
沼津倶楽部は、貴重な文化財を後世に伝えるために、大きく変えずに改修した場所。
静寂を楽しんで欲しいという宿の意向で、客室にテレビはない。防波堤越しの波音や木の葉ずれの音が、客人を包み込む。
粋人がこだわり抜いた別荘は、沼津の人々が大切に守り、今、次世代へとバトンが渡る。住まいも同様、その誇りは着実に建物に宿ることを教わった。
Editor’s Voice
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戦後の沼津の政治の拠点となったと言われ、歴史的価値のある「沼津倶楽部」。有志たちの熱い思いから、建築の意匠は可能な限り残して、名建築の劣化のみ修繕したのが現在の沼津倶楽部だ。その集合別邸には、水盤とベンチを軸に、宿泊客が沼津の自然に浸れる仕掛けがあった。富士山からの湧水で造られた、客同士の対話、希薄になりがちな都会の人間関係の、見える風景とツールひとつで会話が生まれることを知る。
Tokiko Nitta(Writer)
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Yusuke Oki
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