Trip
Issue : 33
アートビオトープ那須|深緑と溶け合うステップフロアが生み出す、自分の時間に没頭する悦び
那須連山の横沢地区にひっそりと広がる、アートビオトープ那須。ここは2017年に閉館したリゾートホテル・二期倶楽部の創立20周年記念の文化事業として、2020年にグランドオープンした宿泊施設だ。創立当初から様式美とホスピタリティの高さで多くの文化人を魅了してきた二期倶楽部。そのさまざまな伝統と美意識を継承するアートビオトープ那須の世界に触れたい。
那須高原の山麓に誕生したブティックリゾート
栃木県北部に広がる那須岳の南。昔から多くの日本人、そして海外からの来賓を迎えてきた避暑地・那須高原がある。ここには森林と渓流から生まれた、さまざまな動植物が息づく豊穣の土壌が広がる。
そんな那須高原の横沢エリアにオープンした「アートビオトープ那須」。前身は、多くの文化人に愛され、惜しまれながらも閉館した「二期倶楽部」だ。
創設者・北山ひとみさんが「二期倶楽部創業20周年を記念した文化事業」として、建築家の坂茂氏にスイートヴィラとレストランの設計を依頼。160個の小さな池がモザイクのように配置された「水庭」を、建築家・石上純也氏が手がけた。
緩やかに循環する生命圏を黙々と歩く
生物の生息地を意味するビオトープに、アートを組み合わせた造語「アートビオトープ」は、アートの苗床を意味する。
ヴィラ建設用地の318本の樹木を4年がかりで移植し、その隙間を縫うように160個の池を造ったボタニカルガーデンだ。
樹木、水、苔、石たちが、かつて牧草地だった場所に新しい風景を描く。コナラやイヌシデなどの樹木が季節ごとに表情を変え、秋になれば真っ赤に紅葉し、冬が訪れると見事な雪化粧を見せる。
訪れた日は快晴で、池の反射や木漏れ日から辺りは一面まばゆく、幻想的な童話の世界に迷い込んだよう。
メディテーションの水庭で得るもの
歩く目印として配置された飛び石を進むと、時折、足元がグラつき、緊張が走る。この「緊張と解放」の連続も、作り手に意図するところ。
道が複数あり、ときには行き止まりも。迷いながら進む庭は、まるで迷路だ。
せせらぎの音に耳を傾けながら、綿密に設計された水庭を自由に彷徨うと、驚くほど心が静かになっていく。日々の喧騒から離れて、自分のあるべき姿に戻っていくようだ。
アートの生まれる場所に滞在するということ
「アートビオトープ那須」は創業以来、「アーティスト・イン・レジデンス」というアーティストの支援活動を行なっている。
世界中の若手作家を招いて1ヶ月滞在してもらい、自然の中で創作活動してもらう試みだ。滞在中にはさまざまなワークショップが開催され、訪れた人との交流も楽しめる。
その際、製作された作品は施設のラウンジやレストラン、客室など、さまざまな場所に飾られ、訪れる人の目を楽しませてくれる。
ここからは、そんなアートと自然が楽しめる宿の空間づくりのヒントを探してみる。
ステップフロアを活用した奥行きある平屋
宿泊施設のヴィラは完全独立の14棟15室。どの部屋も美しい二曾川に面しているのが特徴だ。
部屋に入ると、まず奥行3mのテラスに圧倒される。ガラスの向こうに広がる森林と渓流の姿に、みるみるうちに引き込まれていく。
玄関の脇は、意外にもベッドルームになっていた。
ホテルの間取りにありがちな、客室の一番奥に寝室を配するのではなく、入ってすぐの場所に設けることで、次に広がるステップフロアのリビングが生きてくる。
傾斜のある敷地を最大限に活用した平屋の間取りだ。
限られた面積の住まいでも、段差を活用して高さを設けるスキップフロアは、空間を有効活用できる間取りとして魅力的。視線を遮るものが少ないため、実際より広々と見えることもメリットと言えそうだ。
コンパクトな寝室から広がる、シンプルで豊かな滞在設計
スイスの「シャレー」と呼ばれる、ヨーロッパの山小屋をイメージしたコンパクトな寝室は、日本人の体型にあったミニマルな空間。
毛布をあえて折っているのは、滞在中に自分で寝具を整えるというひと手間を楽しんでもらうため。これは、二期倶楽部から続いているコンセプトのひとつ。
ベッドの前に設置されたデスクで本を読むのも楽しい時間。ふと視線を上げると、読書で疲れた目を深緑が癒してくれる。
リビング脇には室町時代から近世にかけて製作されてきた、書院造の「燦架(さんか)」を設置し、書籍やアート作品を展示。
部屋ごとに日本の風土や工芸をテーマにした本が並び、滞在中によりアートに近づける。
浴室のあじろ扉を開けると広いテラスとつながり、渓流を一望できる開放的な野天風呂に変わる。
森林の静寂さに身を委ね、小鳥のさえずりに微睡みながら、朝夕に入浴を楽しめる。シンプルなレジデンスの醍醐味だ。
フロアの最上部にコンパクトな寝室がある空間のつくりは、起きた瞬間から滞在のイメージを深めてくれる。朝目覚めて自然と美しく溶け合う室内を眺めながら時間の過ごし方をイメージする時間もまた、格別。
沈黙と孤独こそが最上の贈与
ここに滞在することで得られるのは「沈黙と孤独」。そんな宿のコンセプトが体現できるように、客室でゆっくり淹れられるお茶やコーヒーのセットが用意されている。
コーヒーミルとオリジナルのコーヒー豆があり、ミルでゆっくり豆を挽く時間も格別だ。テラスに出て、野点を楽しむ人も多いという。
何から何まで用意された“至便で効率的なホテル”ではないこの場所が、自分の手を使って余白のある時間を作り出す悦びを教えてくれた。
普段の暮らしでやっていることを、自然の中や旅先でやるというのは、異なる視点を得られることが多い。
生命が循環する水庭を歩き、孤独と隣り合わせの部屋で自分の時間に没頭する。しばらくここに滞在していると「自分の畑を、自分の手で耕す」というアートビオトープのメッセージがストンと腑に落ちてくる。
決して便利すぎない。自分の手足は自分の思考で動かす。自然とアートが共存することで感性が刺激される、「アートビオトープ那須」はまさに複眼的な思考が得られる宿だ。
pick up item #1
二期倶楽部の時代から使い続けているヤコブセンの「スワンチェア」。新しいものに一新するのではなく、良いものはその都度修復しながら、時代を超えて受け継いでいく。
pick up item #2
寝具は1830年創業の京都の「イワタ」のもの。マットレスは通気性の高いキャメルやヤクの天然毛を使ったもので、寝心地が抜群。カバーは麻100%でスッと汗を吸い込み、暑さ寒さに関係なく年中心地いい。
Editor’s Voice
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「沈黙と孤独こそが最上の贈与」。そんなコンセプトがぴったりのこの場所には、まさに静かな悦びが満ちていた。目を覚ました瞬間に布団の中から絶景を望む宿もいいが、ここの場合はそうではない。起き上がり、まず椅子に腰掛け外を眺める。ゆっくりと階段を下り窓を開け深呼吸をするーー。そんなゆったりとした余白の時間が、まるで全て意図されたように段々と訪れるのだ。それにはきっと、ステップフロアの空間が大きく寄与しているのだろう。日常の中に隠れている静かな悦びに出会う空間づくりを、アートビオトープ那須の空間に学んだ。
Chiaki Miyazawa(yado)
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Eichi Tano
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