Trip
Issue : 30
Izu Cliff House|森で10年眠る廃墟が建物の記憶と共に蘇った、崖の上のホテル
南伊豆の秘境、太平洋に面した崖の上にある一棟貸し宿、Izu Cliff Houseは、時代や場所を超えて、思い出や空想といった非日常に引き込む装置だ。
人智が及ばない荒々しい大自然と対峙できる宿で、これからの観光という新しい価値を知る。
出逢った瞬間、蘇らせることを決めた60年代のモダニズム建築
東京から約3時間。曲がりくねる山道を進んだ先に、南伊豆の国立公園が広がる。ここは国の自然保護法で守られ、今では建造物を建てることができないエリアだ。
「このあたりに宿がある」というカーナビを頼りに車を降り、林道から苔むした階段を降りていく。この時、まだ宿の建物は隠れて見えない。足を滑らさないよう、慎重に階段を進むと、突然、断崖絶壁に建物が現れた。
それはさながら、海と空に浮かぶ、童話の世界の入口のよう。
ここは、1960年代に物理学者とフランス文学者の夫婦が手がけたモダニズム建築の別荘だ。前面ガラス張りの鉄筋コンクリートの建物の前には、伊豆の大自然と太平洋の絶景が広がる。見渡す限り人工物は見当たらず、海と森と天体だけの世界。
10年も放置されていたというこの建物は、現在のオーナー夫婦が偶然バカンスの途中で見つけたことから、止まっていた時間が動き出すこととなる。
地方に埋もれた、救済すべき美を発見する喜び
一棟貸し宿、Izu Cliff Houseを営むのは、オーストラリアで世界自然遺産地域の環境保護研究環境保護に携わっていた坂田華さん。
「幼少期から我が家は、週末になるとマンションや一軒家のチラシが食卓に並ぶ、少し変わった家庭でした。母親は“買うならどの家がいい?”と、広告を眺めながら聞いてくるような人。おかげで、私も子供の頃から建物の建坪率がわかるぐらいマニアックになっていました(笑)」
そんな坂田さんが、結婚前に夫婦で訪れた下田で興味本位に不動産を検索したのが始まり。ウェブサイトで面白そうな建物がヒットしたという。
何人も購入を諦めた物件に見出した可能性
「早速、不動産会社に問い合わせてみると、鍵もないし、窓も割れているから、勝手に中を見てくれと言うんです。今まで何人も内見に訪れたけれど、誰も買う人はいなかったそう。アンタたちも見に行くだけ無駄だよ、とキッパリ言われました」
何度も道に迷いながら辿り着いた物件は、まさに文字通りの廃墟。ガラスは割れ、建物はツタだらけ。中から動物の匂いもして、無残に荒れ果てた状態だった。
「でも、見た瞬間、出逢ってしまった!と思ったんです。まるで『天空の城 ラピュタ』の世界。海に建物が浮かぶかのような佇まいは、この世のものとは思えない衝撃でした。朽ち果てたこの建物を救いたい、私たちが助けなければ、と思ったんです」
折しも、坂田さんは結婚前。そこで、ハネムーンと結婚指輪代も費用に当て、この土地を購入することに。そこから、敷地内にテントを張り、夫婦で雑草を抜くことからスタート。高圧洗浄機でドロドロの壁やタイルを洗い、建物の原型が掴めたところで、地元の大工と少しずつ改修し、2年半がかりで建物を蘇らせた。
ここからは、深い森の中で眠っていた廃墟が蘇った宿「Izu Criff House」の空間づくりに学ぶ、暮らしにまつわるヒントを探してみたい。
“当時の記憶” をなぞる、空間づくり
「至るところに元オーナーの存在を感じる建物だったんです。60年代の、水もガスも通っていない辺鄙な場所によくこんな素敵な建物をつくったなぁと尊敬するばかり。だからこそ、変に手を加えず、元あった姿を崩さないようにしようと心がけました」
いつか元のオーナーに見てもらえたとき、「建物が当時のままに変わらずここにある」と喜んでもらえるようにしたい。そんな気持ちで建物に接したという。
もし家づくりに置き換えるなら、土地や地域が持つ記憶に耳を傾けながら空間に落とし込んでみてもよいかもしれない。そうすることで空間は自分たちだけのものではなく循環の中の一つの装置へと変わっていくのだ。
家具のセレクトが生む、都会の日常との心地よい間合い
ガラス張りになったダイニングからは、どこにいても太平洋の果てしない青が眺められる。壁際には、地元の木工作家の沼田風氏のクスノキ材のデイベッドを配置し、手作りの木綿布団を敷いて、体を預けながら海を眺められる特等席をつくった。デイベッドから漂う樟脳油の香りに包まれながら、自然界からの光や風をつぶさに感じ取れる。
デイベッドの手前のサイドテーブルは、岡山県の宮大工・杣耕社に伝統的なヤリガンナを用いて制作してもらったもの。ラグは、ケニアで伝統的な自然染料と手編みでつくられた「kahoku lug」をセレクトしている。
「ここには、一見でデザイナーがわかる主張の強い家具は置かないようにしています。有名なデザイナー家具は都会の日常を思い出すような気がして。ゲストにとって非日常を感じられる場所にしたいので、家具はあえて作り手がわからないものを選んでいるんです」
キッチンは色見本として表示されていたタイルの配置を面白いと感じてそのままオーダー。日本のものとは違う、どこか北欧を思わせるような配色に仕上がった。
「周囲にお店がないので、このキッチンで自炊する人やデッキでBBQを楽しむ人が多いですね」
二階の寝室は、天井に納まっている障子を下ろすと個室に変わる仕組み。壁側のふすまを開けると、まるで森の中に現れる茶室だ。ここはダイナミックな海側とは異なるロケーションで、森林の外気に触れながら、閉ざされた茶会の非日常も味わえる。ベッドはないので二階に布団を敷いて寝る人が多く、4人までなら雑魚寝もできるそう。
多くの滞在者は連泊し、別段、何もしない数日を送るという。日の出から日没までの海の描写を、ただ眺めるだけで満たされる。
それはここから眺める絶景だけでなく、多国籍で作り手の見えない家具のセレクトもつくりだしているものだと感じた。
つながることが重要視されすぎて、混み合う現代。何もしなくていいというのは最高のご褒美だ。
愛された記憶と共に、建物を循環の輪へ
「新築には興味がありません。建物が持つ物語を読み解くのが大好きなんです。私が子供の頃に住んでいたのも戦前の古い木造平家の社宅でした」
その記憶が鮮明だからこそ、坂田さんは朽ち果てていく建物を見ると、つい拾ってあげたくなるという。
さらに、オーストラリアで長年環境保護研究の仕事に携わっていた経験も、彼女にとって今回の宿泊施設を営む動機になった。
「美しい自然を維持することで、どれくらいの経済効果が得られるかを研究していました。持続可能な経済は、今や観光にこそ活路があると思います」
だからこそ、映画のような景色をリアルに感じられる場は、地域の財産。滞在することでサーフィンやカヤックなど、マリンスポーツを通して地元の経済にも還元できる。
「前のオーナーはすでに亡くなり、この建物にお招きする夢は叶いませんでしたが、今度はそのお孫さんが恋人と一緒にパリから来てくれる予定です」
建物を軸に、縁のある人が再び集う。時代を超えて、建物に刻まれた歴史が縁を結んでいくのだ。
物語は継承され、森の中で10年も眠っていた建物は、新たな循環の輪に入った。
救済された建物は新しい価値を身につけて、地域を潤していく。多くの人が心惹かれるる空間づくり、地域づくりの在り方をIzu Cliff Houseから教えてもらった。
Editor’s Voice
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60年前にオーナーが目にした建築と自然が混じり合う美しい景色を、できる限り当時のままに再現したという、現オーナーの坂田さん。彼女の話を聞いていると、刻一刻と変わりゆく海の色も、荒々しく波を受け止める崖の断面も、悠々と空を飛び回る鳶の姿も、全てがより一層特別に思えた。その地にしかない美しさを単なる風景として消費するのではなく、より美しい形で次の時代に継承していく。自然を前にした時の建築のあるべき姿をIzu Cliff Houseに学んだ気がした。
Chiaki Miyazawa(yado)
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Yusuke Oki
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