Trip
Issue : 25
湯の山 素粋居|12棟の離れが点在する美術館のような宿で、理想の家に出会う
三重県北西部に広がる鈴鹿山脈の麓。ここには1300年の歴史を持つ「湯の山温泉」があり、古来から多くの人を癒してきた湯治場となっている。
2020年、陶芸家/造形作家の内田鋼一さんがプロデュースする宿「湯の山 素粋居(そすいきょ)」が誕生し、瞬く間に話題となった。
12棟の離れが敷地内に点在し、それぞれが異なる自然素材を用いて一軒家のように構成されている。各部屋では現代アートや工芸、古美術に触れられ、さながら美術館のよう。
今回はこれら各棟をまわりながら、住まいのヒントを探してみたい。
三重県菰野町にある御在所岳の麓には、名湯の里として知られる湯の山温泉がある。その一角に誕生した、13,928㎡の敷地を持つ温泉宿「湯の山 素粋居」。
敷地内には12室の離れが立ち並び、それぞれ8つの自然素材を用いた空間となっている。
車で敷地に入ると、宿泊するヴィラまでそのまま乗り付けられる。まるで友人宅を訪問する感覚だ。実際に敷地内を歩いてみると、外観も様々。個性豊かな棟が立ち並ぶ様子は、まるで美術館のよう。
これら全棟の建築デザイン監修とアートキュレーションを担当したのは、陶芸家/造形作家の内田鋼一さんだ。各地の土を使って焼き物制作を行い、鉄をはじめ、土以外のさまざまな素材でも造形作品を発表している、いわば素材のスペシャリスト。さらに、世界中を旅してまわり、骨董や工芸、現代美術の目利きとしても名高い。そんな内田さんの視点からつくられた空間とは、一体どんな宿なのだろう。
宿に込めた陶芸家/造形作家・内田鋼一さんの想い
「素粋居の建設予定だった菰野町は、もともと菰野石の産地で、近場には石切場や石置場に巨石がたくさんありました。まず、それらを有効活用しようと考えたんです。そこから、石の力強さに負けない素材を他にもいくつか選定し、経年変化が楽しめて、なおかつ月日と共に美しく育つ8つの素材を選びました」と話す内田さん。
それが、部屋のテーマとなった「石」「土」「木」「鉄」「漆喰」「和紙」「漆」「硝子」の8つの素材だ。
「全国にはさまざまな宿やホテルがありますが、施設全体のテーマやテイストは変わりません。だからこそ、素粋居では一棟ごとに特徴や個性を持たせ、訪れる人が毎回違うコンセプトの部屋に泊まりたくなる、そんな宿を目指しました。敷地全体が美術館、建物それぞれが作品。そんな風に楽しんでいただければ」。
各棟には、それぞれの素材に合わせて選んだ照明や家具、アート、古美術品が並ぶ。それらは決してこれみよがしではなく、空間に溶け込むような配置だ。宿泊施設らしからぬ、さりげない調度品のセレクトが、誰かの住まいを訪れた感覚になる理由のひとつ。泊まるたびに各棟の違いを観賞できる一方で、「自宅をこんな内装にして、こんな家具やアートを置いたらどうだろう」という想像力も湧いてくる。
さて、ここから特徴的な3つの棟をピックアップし、そのしつらえを紹介したい。間取りもテーマもすべて異なる空間で、きっと自分好みの住まいのヒントが見つかるはず。
土の棟「土逢」にみる、茶座敷に寝転ぶ心地よさ
「土逢」の部屋に入ると、まず土壁の質感に目を奪われる。本塗りの土壁がまろやかな曲線を描き、手仕事の温もりを感じる造りになっていた。土が持つ原始的な力強さと共に、柔らかさが空間全体に漂う。
この部屋の見所は、武者小路千家家元後嗣の千宗屋氏が監修する茶座敷「抱土」があること。水屋を備え、本格的な茶事もできる。「各棟に畳の部屋を設けたのは、温泉の後にゴロリと横になる醍醐味を味わって欲しいから」という内田さん。茶会を楽しむだけでなく、のんびりと体を伸ばせるのが畳の魅力。すっかりフローリングに慣れてしまった現代人も、ここで必ず畳の魅力を再認識するはず。
漆を基調にした「玄漆」で、インテリアの黒の使い方を学ぶ
黒壁に囲まれた部屋と、ポッカリと広がる中庭とのコントラスト。こちらは漆をテーマにした「玄漆」。玄とは「黒」の意。建築の外壁やインテリア、輪島塗の塗師・赤木明登氏に特注した黒漆の浴槽、小さな美術品にいたるまで、すべてが黒を基調としている。
「調度品もアートも黒」と聞き、どれほど重々しい世界なのだろうと身構えたものの、至るところから自然光が差し込む採光のおかげで、暗さは微塵も感じない。明るい空間に浮かび上がる、調度品の重厚感ある漆黒。黒が持つ都会的でモダンな空気がよくわかる空間になっている。黒を有効的に活用することで、部屋はこうも端正に引き締まるのだ。
和室に隣接した小さな中庭。外の世界を切り取るようにデザインされた地窓は、正座したときの視点に合わせて庭の景観が楽しめた。
硝子の空間「硝白」で健康的な住まいへ導く
ガラスアーティスト・イイノナホさんが手がけた球体のシャンデリアが目を引く「硝白」の部屋。ここは、白で統一した「硝子」がテーマの空間だ。硝子を通して見える、みずみずしい世界。木々の緑との対比。清潔感と透明感に溢れた空間は、幅広い年齢層の女性に人気だそう。
リビングのどこに座っても、窓の向こうに茂る常緑樹が視界に入ってくる。それだけで、気持ちが晴れ晴れしてくるからすごい。家事をするとき、お茶を飲んで休憩するとき、一家団欒するとき、窓から入る視覚の作用というのは、実に大きいもの。白と硝子の世界はどこまでも健康的で、家での滞在時間が長い人にとってはぜひ取り入れたい要素である。
浴室のように限られた空間は、光の移ろいが重要な要素。外からの目線が気にならない場所に採光を確保し、水面に反射する美しい光があるだけで、入浴はますます楽しいひとときになる。
自分好みの住まいを確認導き出せる滞在へ
この宿で過ごしてわかったのは、楽しみ方がとても多いということ。さまざまなジャンルのアートや骨董品を間近で見ることができ、しかも棟によって大きく異なるため、滞在するたびに「次回はあの棟に泊まりたい」という気持ちがふくらむ。さらに、どの棟も宿ではなく住居要素が多いため、「例えば、ここに住んだら…」とイメージしやすい。素材が持つ影響力をひとつずつ確かめながら、それらすべてが「理想の家」と出逢えるためのアプローチになっていた。
pick up item
自宅に“素材を取り入れる”第一歩として、まずは気軽にトライできる「花器」をいくつかピックアップ。アンティークや作家ものなどさまざまあるが、花を生けなくても絵になる、デザイン性の高いものがおすすめ。大きめのサイズを選べば、空間をグッとしめてくれる要素となる。
この宿には、本物の素材が持つ「素」の力に触れられる、たくさんの機会があった。内田鋼一さん曰く、素をいかに粋に魅せられるか。そんな技術とセンスの見せ所として「素粋居」が成り立っている。一泊だけでは味わい尽くせないため、「次はこの棟に泊まろう」と予約して帰る人が多いというのも頷けた。それぞれが自分のセンスや好みと対峙できる、唯一無二の宿として存在している。
Editor’s Voice
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どの部屋も大胆に素材を使っていることで、その素材が持つ特徴がダイレクトに伝わってきた。こんな風に、マテリアルの魅力がわかる宿は他にないだろう。調度品ひとつ取っても、ガラスケースに入れて大切に展示しているわけではないため、手に触れたときの感触や、間近で見たときの質感もよくわかる。これから家をつくりたい人には、滞在するたびにアイデアがもらえる、希少な存在だ。
Tokiko Nitta(Writer)
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Kazumasa Harada
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