Interview

Issue : 09

アーティスト・和泉 侃 | 移ろう気分に合わせ香りを愉しむ暮らし方

泊まるように暮らす人に聞く、暮らしの哲学。今回は “感覚の蘇生” をコンセプトに、名だたるホテルや製品の香りのデザイン・ディレクションを手がける今注目のアーティスト、和泉 侃さん。彼が提案する、香りを暮らしに取り入れるファーストステップとは。

Profile

和泉 侃

IZUMI KAN

東京都生まれ。大学在学中に“香り”で表現することに強く惹かれ、香りを使ったスペースデザインを専門とする企業に入社。2015年独立し、空間や製品における香りのデザインやディレクション、またインスタレーションなどの作家活動を行う。2017年に兵庫県・淡路島に移住し、香りの原料となる植物の栽培から蒸留まで行い、より素材と向き合える活動を通して香りの制作に励む。

“匂い”に惹かれる自分に気付き、迷うことなく“香り”の世界へ

ーー“香りをデザインする”という職業はとても特殊ですが、和泉さんにとって香りは元々身近なものだったのでしょうか。

 

特別に香りが身近な環境ではありませんでした。むしろ子どもの頃は、プロを目指すほどテニスにのめり込んでいました。高校でテニスを辞め大学に進んだ後も、テニスに傾けていた情熱を注げることを探していて…ある時、街中を歩いているとふわりと金木犀の香りがしたんです。「懐かしいな」と思ったと同時に、「そういえば、昔から『匂い』には心惹かれるものがあったな」と。植物から人の汗のような “不快” と捉えられる匂いまで、様々な “匂い” に鼻先を向けずにはいられないんですよね(笑)

 

 

ーー日常の中で何気なく感じたことが、人生の方向を変えたんですね。

 

それまでいたテニスの世界は、“勝つ” ことが答え。でも匂い ―提供するものとしては “香り” ですが、こちらには答えがない。それぞれが経験したことの集積で感じるものが香りなので、“すべてが正解” なんです。だから、クリエイションしたことが自分の生き写しのようにダイレクトに表現できる。それがとても魅力的で、大学を辞めて19歳で香りを使ったスペースデザインを専門とする企業に就職しました。香りに関するベースの知識や調香の経験はそこで身に付けました。

植物に魅せられ移住した淡路島という土地

穏やかな瀬戸内海に浮かぶ淡路島には、多種多様な植物が自生し、食文化も豊か。
近年、その環境の良さから社屋の移転や移住者も増加しているそう。

ーー生まれ育った東京を離れて移住された淡路島。なぜこの場所だったのでしょう?

 

淡路島に足を運んだきっかけは、印香を作るプロジェクトに携わったことでした。京都に、江戸時代から続く誉田屋源兵衛(こんだやげんべえ)という帯の老舗があります。十代目山口源兵衛氏が特別な帯を納品された際、お客様が白粉(おしろい)の香りが匂いたつような気がしたと仰ったそうで、その香りを再現した印香をオーダーいただきました。それまで主に精油を扱っていて、粉もの(お香)は初めての試みでしたから、まずは淡路島で学ぼうと考えました。実は淡路島はお香の生産量が日本一の “香りの島” なんですよ。

2年越しで完成した、タツノオトシゴを模した白粉の印香

ーー淡路島はお香作りに適しているんですね。緑豊かで自然の恵みに溢れたイメージがあります。

 

淡路島でお香が作られるようになったのは、およそ170年前。堺の線香職人が教え、島の漁師がオフシーズンに副業として始め、広がったようです。お香作りは風と湿度が大切なので、風が読める漁師には向いていたんでしょうね。淡路島の位置は、日本の北と南の植生帯の境目に当たるので、多様な植物が見られます。人の手が入っていないところも多く、原料となる植物が豊富なのは、私にとっても魅力です。淡路島に暮らしの拠点を移したことで、植物が育つ土も色々、環境も色々であることを目の当たりにして、「なぜこの香りが生まれたのか」を想像できるようになりました。

 

ーー淡路島で原料となる植物の採取や、時には栽培から手掛けるようになって、変化を感じたことはありますか?

 

淡路島の植物を農家さんで採取させていただくだけでなく、島の山椒や固有種の鳴門みかんなど、自生する植物を使うことも増えました。そして蒸留から精油まで手掛けているうちに、ずっと向き合っていないといい香りにならない、ということを実感しています。以前にも増して、蒸留された一滴がとても貴重なものに感じています。

和泉さんが「宝物」と語る、植物から蒸留した香りの原料

“土の中”をコンセプトにしたアトリエ「胚」。

ーーアトリエは薄暗いけれど心地良さを感じる不思議な空間。足を踏み入れると、非現実の世界に迷い込んだようです。

 

まだ光が当たらず細胞分裂をし続けている、というイメージで「胚」と名付けたアトリエのコンセプトは “土の中”

。香りを処方することに特化した造りになっています。嗅覚の環境を常にフラットにするため、香りを吸収する土壁で包み込むような空間をつくり、照明は最小限に。土壁には、淡路島の土に蒸留した後のハーブを混ぜ込み、粗さや素材を変えて場所ごとに使い分けているので、深みのある有機的な雰囲気が漂う空間に仕上がっています。

ところどころ素材が浮き出た土壁には生命の気配が漂い、静謐で柔らかな空間を創り出しています。
内装デザインは「TERUHIRO YANAGIHARA STUDIO」。

ーーアトリエの空間ほとんどを占める、巨大な作業台がとても印象的です。

 

淡路島は瓦の産地でもあるので、作業台には淡路瓦を使いました。瓦に使った釉薬は、蒸留したハーブの殻で作ったもので、地元の職人さんが瓦を一枚一枚積み重ねてくれました。あえて表面の高さを揃えないことで、唯一無二の風合いが生まれています。

気分も状況も移ろうもの。
「今、どんな気持ち?」と問うことで出会える、自分が求める香り

ーー暮らしに香りを取り入れたいけれど、自分の気持ちや空間に合った香りを選ぶための基準が分からず、難しさを感じています。どんな風に選べば良いですか?

 

何もプラスしたり変えたりしなくても、空間を変えられるのが香りです。だから、空間に重厚感が欲しければウッディな香りを選ぶ、といった感じですが、まずは自分のその時の “好き” に向き合うことからはじめてみてください。消去法で “好き” にたどり着くのもおすすめです。

そしてその気持ちを可視化・言語化する視点を持つことが大切なんです。「あたたかい色って何だろう、シナモンやリンゴかな?」「爽やかな気分になりたいから、青っぽい香りを探してみよう」という風に。暮らしの空間にはすでに様々な要素があるので、複雑すぎない香りを選んでみてください。

 

 

ーー 好きな香りを暮らしの中で使い分けられるようになるのが理想です。

 

気分や状況は移ろっていくものですから、朝なのか、寝る前なのかなど香りを使う時間軸で考えてみてください。家族など空間を共有する人がいるなら、お出かけの際にライフスタイルショップに立ち寄って、棚に並んでいる香りの感想を言い合うと、お互いの好きな方向が見えてくるので、その時間も含めて楽しんでもらえたら。どんな場合でも “なぜ” その香りを選ぶのか、意識できると次からは悩むことが減っていくはず。

香りに癒されて一服。お茶の時間も香りを愉しむひと時の一つ

アトリエでは、様々な植物をブレンドしたハーブティーを振る舞ってくれた和泉さん。「適当に、お気に入りのハーブをミックスして」という気軽さで、香りを愉しむことを教えてくれました。まずは「飲んでみたい」という気持ちに従って、お気に入りのハーブティーを淹れ、美味しく楽しく香りを取り入れてみてもよいかもしれません。

yado's pick up item

淡路島の恵みから生まれた香り、√595

ーー和泉さんが淡路島で立ち上げたブランド「√595」について教えてください。

 

淡路島は、西暦595年に香りの原料となる香木・沈香(じんこう)が日本で最初に漂着した場所といわれていて、日本書紀にも記されています。ブランド名「√595」はそこから名付けました。現在発表しているプロダクトは3種類。グリーンフローラルの香りでリラックス効果が高いSootheは、寝る前に使うのがおすすめです。爽やかでみずみずしい香りがするHumidityは、お香では難しい “水分” を表現していて、クリエイターからの人気がダントツ。そしてJinkoh、こちらは「√595」のルーツである沈香を表現しています。個人的には、沈香の中でもさらに希少な伽羅が一番いい香りだと思っているんですが、Jinkohは伽羅の香りを解釈したものになります。重厚感と浮遊感が共存するウッディな香りなので、来客とゆったりした時間を過ごしたい時には、さりげないおもてなしの一つになってくれるのではないでしょうか。今後は香りの原料となる植物を100品目以上、自社で栽培するビジョンを持っています。

  • Self Photo7

    和泉侃が撮る、旅と日常。

    淡路島での暮らしも “泊まっている感覚” と話す彼にとって、旅は日常でありながら、日常を離れインスピレーションを得る大切な時間でもある。そんな彼が撮影した、旅と日常の一コマを一部ご紹介。

     

    1枚目は長野県 戸隠神社へ続くヒノキの道。この場所で見たヒノキは、経験上最も巨大で、力強い匂いがしたそう。2、3枚目は同じく戸隠で出会った白樺の木。特徴的な表皮の質感は、“触覚” の表現のイメージソースに。続く4、5枚目は淡路島 本島最南端で撮影。絶滅危惧種にも指定されている秋の七草「フジバカマ」を諭鶴羽神社の境内で育てていることを聞きつけ、採取と蒸留実験を行ったそう。最後の2枚は、彼が “泊まるように暮らす” 自宅の居間にて。

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Editor’s Voice

  • 山々が目前に広がる高台に、和泉 侃さんのアトリエ「胚」がありました。その静謐な空間で感覚を研ぎ澄ませ香りと向き合う和泉さんの姿は、淡路島の自然の一部のように凛と美しい佇まいでした。香り探しは “自分の気持ちに向き合うこと” 、それは暮らし全般にもいえる、一番大切にしたいことでした。

    Ritsuko Tsutsum(Writer)

  • はじめて入った「胚」という名の “土の中” 。そこは薄暗い中でも差し込む光が時間をかけて移ろい、素材の違う壁や床を順番に見せてくれるように照らしていく。その移ろいから終始目を離すことができませんでした。印象的だったのは「匂い」についてお話をされている時の表情の豊かさ。「何かを足さなくても空間を変えることが出来るのが香り」その言葉を聞いたとき、写真を撮る手を止めてしまうほど、新しい発見を頂きました。

    Akari Kuramoto(Photographer)

Staff Credit

Written by Ritsuko Tsutsumi

Photographed byAkari Kuramoto

    香りの在り方を提案する新しいお香ブランド「√595」

    お香産業が根付く淡路島より、多様な切り口から香りを紐解くことで、“薫り” のルーツに迫ろうとする着想から生まれた「√595」。

     

    異なるフィールドで活躍するアーティスト、デザイナー、専門家たちとともに香原料や調合の研究を行い、これまで培ってきたお香製造の技術に新たな解釈を交えることで、過去と未来を横断し、香りの在り方を提案しています。

About

泊まるように暮らす

Living as if you are staying here.

食べる、寝る、入浴する。
家と宿、それらがたとえ行為としては同じでも、旅先の宿に豊かさを感じるのはなぜなのか?
そんなひとつの問いから、yadoは生まれました。

家に居ながらにして、時間の移ろいや風景の心地よさを感じられる空間。
収納の徹底的な工夫による、ノイズのない心地よい余白……。
新鮮な高揚と圧倒的なくつろぎが同居する旅のような時間を日常にも。

個人住宅を通して、そんな日々をより身近に実現します。