Trip
Issue : 52
Hansaram|ラップランドの森と繋がり、内なる自己と対話できるレジデンス
フィンランドのクーサモ空港から車で約50分。雪に覆われたポジオの森を、写真家の原田教正さんが訪問。世界的な陶芸家であるスク・パークさんがオーナーを務めるレジデンス「Hansaram(ハンサラム)」に滞在し、極夜の森で過ごした数日間の記録を紹介する。
真っ白な湿地帯に誕生した静寂の邸宅
人間はずっと自然の中で生きてきた。都市で生活を営むようになったのは、長い歴史の中でつい近年のことだ。
森に入って、森での生活を知る。森の時間に体を合わせる。森で遊んで創造する。森を通してあらゆる物語を、ポジオの白い世界に誕生した「Hansaram」で知ることができるだろう。
写真家の原田教正さんがレジデンス「Hansaram」を訪問したのは2023年の冬のこと。ラップランドのポジオに滞在するのは、これが初めてだった。
ラップランドの冬は長い。11月になると初雪が降りはじめ、世界は白く包まれる。極夜の影響で日照時間は短くなり、それが冬の訪れを知る合図となる。運が良ければ、夜が更けた頃にオーロラとも出逢えるエリアだ。
ノルディックスキーを楽しめるキリンテヴァールスキー場が近くにあり、少し足を伸ばせばレーシトゥントゥリ国立公園で深い森も散策できる。
テンプレート的に言えば、ハスキーの犬ぞりを味わうのも一興だし、サウナのあとに湖で火照りを冷やすのも北欧の旅の醍醐味だ。
そんな雪と湖と森を巡るエリアに、宿泊施設「Hansaram」が誕生したのは2023年の夏。
原田さんいわく、「レジデンスが提案するのは、誰もがイメージする北欧の過ごし方とは少し違っていた」という。
「Hansaram」のオーナーであるスク・パークさんが、この施設を手がけたのには訳がある。彼は2000年からソウルの大学で陶芸の教授として働き、若いアーティストたちがどのように自分の居場所を見つけられるかを指導してきた。
国際陶芸アカデミー「IAC」の名誉会員であり、以前はIACの評議員も務めていたという。アメリカ、ヨーロッパ、アジア諸国のさまざまな美術館や博物館には、今も彼の作品が数多く並ぶ。
スクさんが長らく大切にしてきたのは、内なる自己を引き出すために、真の自然といかに繋がるかということ。創作活動と環境の調和は、切っても切れない関係だと考える。
彼は創作のために世界中を放浪し、アーティストが休息して回復できる環境を探した。その場所に選んだのが、森に覆われたラップランドのポジオだったという。
アーティストにとって安心できる「家」であり、創作できる「工房」であり、孤独と対峙できる静謐な場所。
そして、普段の環境から一時的に離れられる、言い換えれば日常から遮断できる時間を得られるインスピレーションの場所だった。
父の構想を息子が具現化。自然と歩調を合わせる建築へ
建物を手がけたのはスクさんの息子、ハンス・パークさん。彼はインターンとして坂茂建築設計で様々な案件に携わり、その後、国連のイノベーションチームで活動した経歴の持ち主だ。
幼い頃から父を通して知り合うアーティストから刺激を受け、建築に関する造詣も深めていった。
夏は16度、冬は−30度を超えることもあるポジオ地区。ハンスさんは、ヘルシンキの大学で出会った友人であり空間デザイナーのリチャード・シレンさんと一緒に、雪に埋もれないための高床式住居を手がけた。
完成した建物では、時折キツネやトナカイが床下を通り過ぎていくという。
木材はフィンランドのものを使い、有害な化学薬品は最小限に抑えている。
環境に配慮された電力を取り入れ、家具は友人たちから譲り受けたスイスの「USM」やフィンランドの「Artek」といった、伝統あるブランドのヴィンテージが並ぶ。
ハンスさんは「部屋のどこにいても許される、そんな空間を作りたかった」と話す。
彼は個人的に「通路」が好きで、通路のどこにでも座れる、読書ができる、お茶もできる、遮るものが少ないフリーな空間を目指した。
「ソウル、ロサンゼルス、東京…、どこを旅しても街には真ん中がなかったから」という、ハンスさん独自の空間の捉え方が印象的だった。
限られた時間のみ日光が得られる環境のため、南向きの窓は大きく、採光を取り込める設計だ。
冬のラップランドは昼でも仄暗く、まどろみやすい。自分と自然の境界線も曖昧で、それゆえ、自然の変化や多様性を確かめやすい環境にある。
暖かな部屋の中にいてもラップランドの森を享受できる空間は、自分の純粋な感情と出逢える場になっていく。
寝室は1階と2階にそれぞれ用意され、1棟で4名が滞在できる広さ。ファミリーだったり友人同士だったり、1グループが宿泊できる。
レジデンスに置かれた物は限られているものの、テーブルやシェルフの上など、ふとしたところでスク・パークさんの作品に触れられる。
ギャラリーに陳列している作品ではなく、日常の延長線に置かれた彼の作品に、新たな魅力やポテンシャルを発見する人も多い。
極夜特有の時間に身を委ねて、精神世界を旅するように
原田さんがこの場所に着いたのは夜だったため、初めて外観を見たのは翌朝になってからだった。
高床式の構造はフィンランドでは珍しく、建物の輪郭を目の当たりにしたときは非常に感銘を受けたと話す。
「周辺の環境とどういう形なら共存共栄ができるかを深く考えられる建築でした。
雪に覆われた木々から顔を覗かせる建物は、遠い過去から現在に続く、人間の原始的な営みを思い出させてくれます」
滞在中、原田さんが好きだった時間に、キッチンでのひとときがある。
とりわけ「GAGGENAU」のビルトインオーブンが備わったキッチンで自炊する時間が心地よかった。スーパーで食材を購入し、キッチンで調理する。出来上がった料理は「Artek」のテーブルでいただく。
「日本で同じものを使っていても、おそらく同じ感覚にはならない。文脈とフィロソフィーがあるからこそ、感じ取ることができる魅力ではないでしょうか。自宅に取り入れるのであれば、今の都会ではなく、山深いどこかに家を移してそこに置きたいと思います」
また、レジデンスという箱には、羽を休めるための心地よさ以上のものがあった。
隔絶された環境で、ラップランドの自然や極夜特有の時間に身を委ねながら、体から精神を抽出していく。長い長い暗闇がわずかに明けるとき、いかに太陽によって人は生かされているのかを考えさせられた。
それは、今までの人生で体験したことのない特別なものだったと原田さんは言う。
「次に訪れるなら、夏から秋にかけてのポジオを体験し、サイアノタイプのような原理的で、太陽光に依存した作品を制作したいです。
おそらく、歩き回ればモチーフとなる自然のマテリアルがたくさんあると思います。制作を通じて、より身体的にHansaramの周辺にある自然を感じ取りたいですね」
最後に、原田さんにHansaramの在り方について伺った。
「Hansaramは建築や人里離れた時間を愉しむという要素と同時に、自分自身と向き合うための場所でもあると感じています。
私にとって最良の宿は、特別なインテリアや建築によって満たされるのではなく、日頃は聞こえない自分自身の声に耳を傾けることができる時間。それを邪魔しないインテリアと空間が、どう用意されているかに尽きます。
オーナーのハンスはとても思慮深くこのテーマを問い、ハンサラムを築いたのではないでしょうか」
「自然に癒される」という言葉を、私たちはいつのまにか当たり前に使うようになってしまった。
けれど、そういったどこか手軽な自然とは異なるものを、取材を通してラップランドから感じさせられる。
Hansaramでは生き物が内側に持つ根源的なエネルギーを見つめられる時間がある。嵐や大雨の激しさ、白樺の芽、凍った自然の雪像。荒々しい自然の中を旅すると、旅が終わって自分が住んでいる場所に戻ったとき、きっと環境について多角的に見れるようになるはずだ。
Staff Credit
Written by Tokiko Nitta
Photographed by Kazumasa Harada
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