Trip
Issue : 38
STAY366|土地に宿るものを、そのまま掬い上げる。ワインづくりの真髄が息づく、ブリュワリーと、隣り合う小さなホテル。
ビールを製造するブリュワリーと、客室が隣り合う。風変わりなホテルが、山梨県は福生里(ふくおり)という山あいの村にあるという。そんな口コミをもとに、葡萄畑を縫うように細くうねる山道を上り、もしかして道を間違えただろうか……と不安になったあたりで見えてきたSTAY366。到着してほどなく案内されたのは、ブリュワリーでも客室でもなく、ワインの醸造施設だった。
発端はワインづくり。かつて地元民が集った場所に、新たな命を宿す
ワインはつくろうとしてつくるものではないんです。ただ美味しいワインが“宿る”場所を見つけるだけ。技術にたよらず、土地にゆだねる。場所文化を維持することこそが大切なんです–––
そんな言葉を耳でかろうじてとらえながら、葡萄畑の広がるのどかな風景や、森から漂うやわらかな香り、冬の張り詰めた空気の肌触りに、身体をすっかり預けていた。時間は都会で感じるより少し曖昧で、たゆたうように流れる。
ワイナリーツアーを終えたばかり。STAY366で過ごす時間の、まだほんの入り口にすぎなかった。
「時間がゆっくりでしょう? このワイナリーでは、みなさん本当にのびのびと過ごされるんですよ」
東京から車で1時間半。山梨県甲州市の山あいに、ビールの醸造所に隣り合う小さな宿・STAY366ができたのは2022年10月だが、その発端は、意外にも“ワインづくり”だった。
時をさかのぼった2019年、かねてからワイン醸造や製品管理に携わってきた平山繁之さんを代表とする数人によって、ワイナリー・98WINEsが誕生した。
「もともと別の場所に醸造所を構える予定だったんです。でも、引き寄せられるように、この福生里という村へ」
そこで見つけたのは、古くは公民館として使われていたという、いまにも朽ち果てそうな木造の施設。ワインづくりにも適していたその土地に惚れ込んだ平山さんは、瓦を再利用しながら新たな姿に生まれ変わらせ、売店やカフェとしての機能を持つ「木の棟」に。また、すぐ隣にワインの醸造をおこなう「鉄の棟」を、そして貯蔵をおこなう「石の棟」を建てた。
かつて多くの地元民が集ったその場所が、ふたたび、さまざまなひととひととを結ぶよう。そうした想いがむくむくともたげ、「そのかたわらにワインがあれば」と導かれるまま、ワインづくりをスタートした。
振り返ると富士。荘厳とも雄大ともつかない、特別なビュー
細い山道をさらに奥へと上った先に、木々に抱かれるようにそびえる古びた建物を見つけたのは、それからほどなくして。
かつては幼稚園の保養所としてときおり使われていたものの、その頃には、ほとんど使われなくなっていた。そう聞き、「ここにビールの醸造タンクを置いて、宿泊機能も持たせたらどうだろう」と、たちどころにイメージが湧いたという。
なにより心を動かしたのは、振り返るとそこにある景色だった。
紅葉した木々に縁取られた向こうに窪んだ大地、そして山々がつらなり、その奥には富士の頂がぽっかりと浮かぶ。
「盆地だということがよくわかりますよね。とても山梨らしい、富士の景色だと思います」
“日本一”と迫ってくるような荘厳さでも、西湖のほとりで望むときのような雄大さでもない。とても静かなたたずみは、たしかに、これまで見たどの富士とも違っていた。
窓からは醸造風景。五感をくすぐる、贅を尽くした3つの客室
客室はわずか3室。
ニューヨークのSOHOをイメージしたという一室「朱(AKE)」は、醸造所の真上に位置するため部屋の窓から醸造所内を眺めることができ、ビールの煮込み過程で生じる甘い香りなどが漂ってくることもある。
また、ナチュラルな北欧テイストで、唯一テラスのついた「翠(SUI)」。シックな黒い壁と、窓で切り取られる緑々とした景色のコントラストを堪能できるヨーロピアンスタイルの「玄(GEN)」。
内装やインテリアなどもテーマに沿って細かくデザインされ、収納やデスクはあえて備え付けにせず、アンティークで揃えた。
こだわりを尽くした空間づくりだが、往々にして、宿泊者が部屋で過ごす時間はほんのわずかだという。なんといっても、ここで味わうべき体験のほとんどは部屋の外にあるのだ。
ここからはそんなSTAY366で過ごす時間を追いながら、ワインやビールがかたわらにあるがゆえに、またワインづくりからはじまった宿だからこそ見えてくる、暮らしのヒントに触れてみたい。
ワインとビールが身体をほぐす。“なにもしない”を心ゆくまで。
到着するとまず、98WINEsのワイナリーへ案内される。葡萄の圧搾機や発酵のための樽が立ち並ぶ醸造所、そしてワインの瓶詰めやラベリングがおこなわれる貯蔵庫を、つくり手とともに巡る。
ボトリングやラベリングの工程には、ところどころにひとの手が必要な道具が使われているのが見てとれる。比較的小規模なワイナリーゆえににじむ、そこはかとないあたたかみ。「目の届く規模で」と、その信条が表れる。
ワイナリーツアーでは4種類ほどのワインをテイスティングすることになるが、それから夕食がはじまるまでのあいだは、STAY366のラウンジスペースでクラフトビールを堪能できる。
窓越しに見える醸造所でまさにつくられたばかりのビールは、常時ラインナップされる3種と、この地域で採れる旬のフルーツなどを使ったフレーバー3種。そのどれもが、なんと、フリーサーブされる。さらに、夕飯の蕎麦懐石ではすべての料理にペアリングのお酒が用意されるという。
ペース配分に注意しなければ……。ビールのグラスを片手にそう言い聞かせたのも束の間、ラウンジからつながるテラスへ、一歩足を踏み入れたときにはもう遅い。なにせそこには、冬の風物詩である焚き火とそれを囲むベンチ。腰掛けると、眼前にはあの富士の景色が広がる。
テレビはない、コンビニもない、日が落ちたら焚き火にあたり、朝は鳥のさえずりで目を覚ます。ふだん都会で暮らしていると、そうした場所をふと訪れたとき、ともすれば戸惑ってしまうことがある。なにもせず無心で過ごせばいい、そう頭ではわかっていながら、妙に手持ち無沙汰で、静けさに不安すら覚える。
ひるがえって、ここではただ、ワインやビールに酔いしれればいい。そうとわかれば、とたん、肩の力がほぐれる。“なにもしない”に身をゆだねるための、さりげない仕掛けだ。
インテリアは、可能な限り土地ゆらいに。
客室それぞれにデザインテーマが設けられているが、全室に共通するのがルームウェアだ。リネン製品にこだわる山梨のつくり手・wafuに惚れ込み、オーダーメイドしたものだという。
リネン生地ならではのムラと光沢。それは窓から差し込むやわらかな光を受けるといっそう際立つ。とろんとほうけるようなタッチは、リネン100%とは思えないほど。
「じつは、このルームウェアを使いたいがために、特別に洗濯室を設けました。自分たちの手で一枚ずつアイロンがけもしているんですよ」
同じ山梨県内にある富士吉田市は、古くから繊維産業で栄えてきたそうだ。その土地のゆかりを活かしたセレクトは、カーテンやクッションカバー、羽毛布団にまで行きとどく。
「いいものが見つかれば、できるかぎり地元のもので揃えたいんです」
地から成るものをいただく。そうした発想や感性は、ほかならず、「美味しいワインが“宿る”場所を見つけるだけ」というワインづくりの作法とも相通ずる気がしてならない。
そしてそれは、なにも、365日の外側でなくても構わないと思う。日常にこそ、土着的な目線を持ち込んでみたい。暮らしをそんな風につぶさに見つめ直すことは、“その地に暮らす”意識をきっと芽生えさせ、日々を豊かにするだろう。
時を経ることでむしろ完成していく建物に
ワイナリーのオープンから数えると5年が経とうとしているが、どの建物も、当時より味わい深く、魅力を増している。スタッフたちも、訪れるひとも、そう口を揃えるという。
真鍮、鉄、木、石……。変わりゆく素材をあえてそこかしこに用い、出来上がった瞬間より、10年、20年と時を経ることでむしろ完成に近づいていく。それは、この場所にもとあった、使われず朽ちかけていた建物へのアンチテーゼとも取れる。おりに触れて何度も訪れるリピーターが多いというのにも、さもありなんと頷ける。
建物をつくる行為は、ほかでもなく、その地に根付くこと。ワインづくりにおいて、「経済活動は二の次。一番は環境活動なんです」とさらりと言ってのける平山さんがたっとぶのも、なにより場所へのコミットメントなのだ。
いつかふたたびここを訪れたときは、なるたけ広い視野をもって、この場所をしっかりと見渡してみよう。
yado's pick up item
「木の棟」の軒先や、STAY366のラウンジからつながるテラスで、そこから見える絶景や、五感をくすぐる音や香りにふと立ち尽くしたとき、かたわらにかならず、「ここにどうぞ」と言わんばかりにたたずむ椅子があった。
「翠」の部屋のベランダにはバタフライ風のチェア、ラウンジ横のテラスにはカーミットチェアと、その場所や空間に応じて、デザインや大きさが選び分けられているのも心地よい。
「ダイニングテーブルに椅子を置く」など、暮らしのなかではつい機能にとらわれがちだが、椅子を置く理由は「ただそこで過ごしたいから」でもいいのだと、そっと教えてくれるようだ。
Editor’s Voice
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この日案内してくれた創業メンバーの吉留さんは、ルームウェアにwafuを選んだ張本人だが、「プライベートで愛用していたから、どうしても」と、STAY366にも取り入れたらしい。少数精鋭で運営する彼らだけに、そうした一人ひとりのスタッフの個性が際立つし、この場所やここでの体験にも、彼らの個性が色濃くまつわる。ゆえに滞在中に聞く彼らの話にもしっかりと手触りがあるし、ひるがえって、宿泊者それぞれの琴線に触れるポイントもきっとさまざまだろう。土日はチーズケーキやコーヒーを出しているから、ワイナリーだと知らずに利用する客も多いという話には、そうした意味でも頷ける。
Masahiro Kosaka / CORNELL(Writer)
Staff Credit
Written by Masahiro Kosaka / CORNELL
Photographed by Shintaro Yoshimatsu
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