Trip

Issue : 35

ume,yamazoe|ないものがあることに気づく幸せ。見ている世界の解像度が上がる宿

奈良県と三重県の県境にある山添村。コンビニもスーパーもないこの村に“ちょっと不自由なホテル”をコンセプトとした1日3組限定の宿「ume,yamazoe」がある。オープンしたのは人々の行動が制限されていた3年前。その後、自粛期間が解かれ、多くの人がume,に安寧の地を求めた。決して予定調和ではない、準備されていないもの。そんな不確かな何かを欲して、人々はume,に足を運ぶ。

人にやさしい場所を目指して。いろんな個性を受け入れる宿

名古屋駅で新幹線を降り、車を走らせること約1時間半。都会の騒音から切り離された、のどかな奥大和地方に到着する。野菜や魚の移動販売があり、昔ながらの習わしが根付く場所。

  • 宿のロゴは、丸と波が交わるもの。丸は形のある有機物、波は形のない不完全な無機物を表現した。相反するものが、調和して混ざる場所になれば、という願いを込めて。

ここに築100年を超える古民家をリノベーションした宿がある。笑顔で出迎えてくれたのは、梅守志歩さん。旧波多野村の元村長が持つ広大な邸宅を当時27歳の身で譲り受け、宿へと姿を変えていった女性だ。しかし、その道のりは決して平坦ではない。

「初めから宿泊施設をするつもりはなくて。ただ、人にやさしくなれる場所をつくりたかったんです。どんな人でも、誰かの大切な人ですから」

そう話す梅守さん。実は20歳の頃から立て続けに、姉と妹、2人の病に直面する。

 

自分にできることがもっとあるのでは? 関わり方が良くなかったのでは? 

誰も決して悪くないのに、家族みんなが個々に自分を責めていく。

 

梅守さんも自分を責めることが多くなった。これは、後天的に病を患った人の家族に陥りがちなケースだという。

人生は、いつどうなるかわからない。

だからこそ、幸せな家族をつくりたい。

世界をフラットに見ることができる場所が欲しい。

 

この想いが梅守さんの宿の原点となった。

集落と共に成り立つ場所。自分も構成物の一部という考え

とはいえ、元村長の古民家を受け継いでも、すぐに宿を始められたわけではなかった。

「この村で長年暮らしていた90歳のおじいちゃんに“静かだった土地を触らないでくれ”と言われました。宿にどういう人が来るかわからない中で、不安も大きかったんだと思います」

 

梅守さんは近隣に何度も足を運び、ときには手紙に想いを綴り、コミュニケーションを重ねた。相手の気持ちを尊重して、工事を半年ストップさせることもあった。

 

そうして、周囲の調整や改築に約2年を費やし、宿は完成する。

ume,の敷地に入ると、まず古い梅の木が目に入った。この宿のシンボルツリーだ。

庭師から「ここに住む人は代々この梅の木を大切にしてきた」という話を聞き、梅守さんもその意思を引き継いだ。

 

日本の大和言葉には、そのひとつずつの音に言霊が宿り、「う」は生まれる、「め」は芽吹きや恵みを意味する。言霊の幸わう国の習わしだ。

ウェルカムドリンクは近隣で採れたブルーベリーを炭酸で割ったもの。果肉がそのまま入っていて、丸ごと食べたくなる。

「自然と対峙することで、本来の感覚に目覚め、生まれ変わる。そんな場所になって欲しいという想いを込めて、宿の名前を『ume,yamazoe』にしました。偶然にも、私の名前に梅が入っているので、何かの縁を感じて」

受け継いで、咀嚼して、次に残したい姿に

宿の正面玄関をくぐると、旧家の造りを目の当たりにする。

「昔の人にとって家というのは、大切なお金や時間を費やし、想いを込めた末に出来上がった特別なものなんです」

 

さまざまな労力と共にできた建物には、100年分の歴史が刻まれていた。それが分かる立派な大黒柱や梁。新築にはない、どっしりとした安定感が宿る。

美しい欄間の下には畳の共有スペースが広がり、ここではゲストが横になっていることも多い。

正面の窓からは常に明るい太陽の光が差し込む。燦々と入る陽光に、多くの人がつい足を投げ出すそう。

梅守さんの定位置となっているのが、一番にお客さんを迎えられる母屋の玄関脇のカウンター。以前は、村の人が電話を借りに訪れる場所だったそう。

客室は3室のみ。「めぶき」と命名した離れは、元は客間だった場所。そのため、来客をもてなすための床の間があり、今も梅守さんが定期的に掛け軸や器をしつらえている。

この離れは村を見下ろせる高台にあるため、宿では客室の眼下に山添村が広がる。日中は太陽の運行がはっきりとわかり、夜になると眠りに落ちるその瞬間まで、冴え渡る星が目の端に映る。

  • 客室「めぶき」には専用の半露天風呂が備わる。檜の浴槽からは木の香りが漂い、ほんのり薄暗い浴室は籠るのに最適だ。

  • 山手に面した客室「いぶき」。扉の前には、山から流れる水を溜めた古くからの池があり、部屋の中にいても水の気配を感じる循環の空間。

  • 客室「つむぎ」の一階には外側に壁がなく、全面が窓と縁側。太陽が昇り、沈んでゆく姿を目の当たりにできる。“何もしない旅”が苦手な日本人も、ここでは大半がぼんやり過ごす。

自然のリズムが自分の奥底に満ちていく空間。決して華美な装飾はなく、建物の傷さえ愛おしくなるような客室たち。

さて、ここからはume,から学ぶ、暮らしのヒントを読み解いていく。

死と再生の装置としてあるume,のサウナ

ume,を語るうえで、なくてはならい存在がサウナだ。国内ではまだまだ数少ない本格的フィンランド式サウナが屋外にあり、2020年のサウナミシュランでは10位に入ったほど。

ユニークなのは、梅守さんが当初サウナにまるっきり興味がなかったことだ。

 

初めは宿に共同浴場のような温泉を希望したが、温泉を掘るにはコストがかかり過ぎる。そこで、サウナ好きの友人から、長野県の野尻湖でフィンランド式サウナ「The Sauna」を手がけた野田クラクションべべーさんを紹介してもらう。

 

野田さんを訪ね、彼のサウナを体験して、梅守さんの考えが変わった。

古くからフィンランドではサウナで出産していたという。人を弔うのもサウナの中。ときには、手術も行う。それほど人の生死に関わる聖域なのだ。

 

そんなサウナのあり方を知ることで、「人が再び生まれ、目覚めるには、これが必要だ」と感じた。

 

自分の肩書きも衣服も捨てて、フラットになれる装置。自分へ帰るための、サウナがあれば…

そんな想いで完成したサウナは、誕生してわずか数年で多くの人の心を射止めることとなる。

ume,のサウナに入ると、まず、まろやかな空気が肌に密着し、それだけで安堵感が湧く。ロウリュを行うと、甘く芳ばしい香りに包まれていく。今日は山添村の和紅茶を煮出したものだそう。体にお茶が染み込み、ふつふつと蓄積していくようで心地いい。

 

体を横にして目を閉じると、外の気配が伝わってきた。森に囲まれるように小屋が建つため、パチパチと薪が燃える音と自分の心臓の音に混じって、小鳥の囀りや通り抜ける風の音が暗闇の中で呼応する。

  • この日はサウナ内でハンドパンの演奏を聞くことができた。暗く狭い空間は、まるで羊水に浸るような安堵感。次元が変わることを体験する。

  • 薪は100年も前にこの地に植えた木を使っているため、梅守さんは大切に扱う。大量の薪を一度に投じることはしない。人が手を加え、作り出した薪から、膨大な時間と手間を想う。

このように、私たちが素に戻れる場所が、世界にはいくつあるだろう。さまざまなネットワークから離れ、自分だけと向き合うとき、人はどこか孤独で寂しい。けれど、それを感じたくて、人は居場所を探している。
現代の時刻を忘れる、ささやかなひとときは、きっと私たちの気持ちの転換や新しい原動力になる。

自分の琴線に触れた「いいもの」を選ぶ

少しスマホをさわれば、どんな情報にも辿り着く時代。クチコミやランキングなど、商品には常に多くの選別がついてまわる。そんな中で、自分の「いいもの」を判断するのは難しい。肌で触れ、五感に響いたものを選ぶ。

ume,では、梅守さんが納得した「いいもの」たちで構成され、見つからない場合は誰かの手を借りてつくることが定石となっている。

例えば、宿の化粧水や乳液などのオリジナルのアメニティは、大和地方で育まれた植物を取り入れ、梅守さんが心を惹かれる香りで構成されている。

 

宿に置かれた書籍も然り。星野道夫の「旅をする木」の一説に出てくる神話学者の言葉に心を動かされ、宿の指標にもしていることから、各客室にはこの文庫本が1冊ずつ置かれていた。

ふとした出会いや経験が、一生のものになるとき

梅守さんが特別こだわったものに、母屋のコの字型のカウンターがある。宿泊しているゲストが、一緒に食卓を囲めると考えて制作されたものだ。

旬の食材を、同じ時間に、同じ場所でいただく。そこでしか味わえないものを、食を通して共有する。

 

「宿で使う食材は、ほとんどが地元で収穫されたもの。この村では、自分たちが食べる野菜を多くの家庭が自分たちで育てています。その余った野菜を売ってもらい、土地で育った“今”おいしいものを、みんなでいただきます」

滞在中、里のお年寄りが食材を届ける様子を見かけた。自分の近況報告をしたり、梅守さんがお年寄りから何かを教わったり、楽しげな会話が続いている。

そんな様子を知ったうえで、里の食材から生まれた料理をいただくのは、レストランで出来立ての料理が目の前にポンと運ばれてくるのとは訳が違う。

 

今、村ではこんな野菜が採れる。こんな調理法がある。ときに、梅守さんがカウンターに入って、目の前で調理を進めながら説明してくれる。

  • 朝食は玉手箱のような 大きな木箱で登場。蓋を開けると、出来立てのごはんにゲストから歓声が沸く。近所の畑で収穫されたばかりの野菜の濃厚な味わいに舌鼓。

体の中に入った栄養は、旅が終わったあともやさしい風景として蓄積され、何かの拍子に鮮明に浮上する。

 

夜の食事は2時間ほどだったが、琴線を震わす何かに形を変えたことは確かだった。やさしい視点でつくられた場は、人と人を繋ぎ、新しい感度へと導く場所になっていく。

ダイニングのバーカウンターは、村のおじいちゃんに利用してもらいたいとつくったもの。村にはお酒を飲む場所が少ないらしい。誰かのために、とつくられた場所は、それだけでやさしいエネルギーに満ちている。

頭でどんな分析や解釈を行おうと、力漲る自然の引力にはかなわない。人は無意識に、生きている山や空や土地のエネルギーを全身全霊で受け止めようとする。

 

そして、そこに平和でやさしい人の手が加わったとき、私たちは生きる力を取り戻すのではないだろうか。

 

ume,を訪れる人の多くがリピーターになるのも頷ける。何もない場所だからこそ、何かに出会う可能性があるのだ。欲しかったものが、実は身近な所にあるという幸せを知る。

 

雲の流れや鳥の鳴き方、移り変わる星や太陽の運行。

普段では見過ごしてしまう取りとめのないものを、ぼんやりと見つめる時間がここにはあった。

 

いろんな形の生命がそこには存在して、完璧ではない世界が許される。

そんな不確かなものに気づいたとき、人は世界を見る解像度が少し上がるのだろう。

yado's pick up item

ファブリックスケープのカーテン

ume,では大阪の「ファブリックスケープ」が手がけるアルミ蒸着のカーテンを使用している。これは以前紹介した金沢の宿「香林居」でも使われていた素材だ。

 

部屋によって色味を変え、その向こうに広がる姿に新しいエッセンスを加える。何かを遮るのではない。景色や光を1枚の繊維に通すことで、ものの見え方が変わる。

 

そんなふとしたことに気づかされるカーテンの使い方。

Editor’s Voice

  • umeのオーナー・梅守さんの言葉は歌のようだった。やさしくて、繊細で、力強くて、魂が込められていて、ずっと聞いていたい。随分昔に自分が諦めてしまった何かが、もしかしたら今なら出来るんじゃないかと、不思議な希望が満ちてくるのだ。私は帰宅後、この宿に人が集まる吸引力を考えてみた。何もないことで「足るを知る」希少な場所なのだ。そして梅守さんのあの熱量に触れたくて、umeが恋しくなるのだろう。帰宅後、私は梅守さんに何度も会いたくなり、あの場所に戻りたくて、一日一回は想いを馳せている。

    Tokiko Nitta(Writer)

Staff Credit

Written by Tokiko Nitta

Photographed by Hinano Kimoto

  • Hotel Information

    ume, yamazoe

    住所:奈良県山辺郡山添村片平452

    客室数:3室

About

泊まるように暮らす

Living as if you are staying here.

食べる、寝る、入浴する。
家と宿、それらがたとえ行為としては同じでも、旅先の宿に豊かさを感じるのはなぜなのか?
そんなひとつの問いから、yadoは生まれました。

家に居ながらにして、時間の移ろいや風景の心地よさを感じられる空間。
収納の徹底的な工夫による、ノイズのない心地よい余白……。
新鮮な高揚と圧倒的なくつろぎが同居する旅のような時間を日常にも。

個人住宅を通して、そんな日々をより身近に実現します。