Trip

Issue : 12

片道24時間の船旅へ。独自の風土と文化が息づく島、小笠原。

今回の旅先は、東京から南に約1000km、太平洋に浮かぶ離島・小笠原諸島。24時間という時間をかけ足を踏み入れた先にあったのは、独自の風土と文化が息づく“非日常”。そんな島の魅力を、泊まるように暮らす人・市川渚が綴る。

Profile

市川渚

ファッションデザインを学んだのち、海外ラグジュアリーブランドのPRなどを経て、2013年に独立。クリエイティブ・コンサルタントとして国内外の企業、ブランドのコミュニケーション施策の企画、コンテンツ制作、ディレクションに関わる。自身でのクリエイティブ制作にも注力しており、フォトグラファー、動画クリエイター、コラムニスト、モデルとしての一面も合わせ持つ。旅行と写真とインターネット、LINEのブラウンが好き。

  • 旅のきっかけのこと

    小笠原という場所をご存知だろうか。東京から南に約1,000km。太平洋に浮かぶ30余りの島々からなる離島中の離島を総称して小笠原諸島と呼ぶ。人が住んでいる島は父島と母島だけ。しかも、その父島と母島に行く唯一の手段は、船。飛行機はない。24時間の船旅を経ないと辿り着けない場所、それが小笠原だ。

     

    そんな場所を年に2度も訪ねることになったのが2021年。そもそもは小笠原の観光関連プロジェクトをきっかけに足を運んだのだが、日本のどの離島にもない独特の雰囲気にすっかり魅了されてしまい、同じ年の夏にも長期滞在することにしたのだった。

     

    実際に足を運ぶまでは、小笠原というと、正直なところ、その名前を天気予報で耳にしたことがあるくらいだった。そんな私が小笠原に魅了された理由はおそらく、3つに集約される。

    24時間の船旅がつくる旅の序章の“余白”

    まず、竹芝と父島を24時間で結ぶ唯一の交通手段、貨客船「おがさわら丸」の存在だ。繁忙期の真夏以外は、大体3泊5日のスケジュールで運行している。つまり、小笠原に行くとなると、最短でも3泊5日になるということだ。これを「1航海」という単位で呼んでいて、もっと長く滞在したいと思った場合、2航海、3航海、といったようになる。つまり、小笠原の滞在はこのおがさわら丸の航海スケジュールで決まるのだ。

     

    宅配便など、一般向けの物流もこのおがさわら丸が担っている。旅人にとっては貴重な脚でありつつ、非常に重要なインフラでもある。人々は愛着を込めてこの船を「おが丸」と呼ぶ。

     

    こんなに長時間フェリーに乗るのははじめてだった。周囲の景色も表情豊かな東京湾を抜けると、ただひたすら海面が続く外洋をずんずんと進んでいくわけなのだが、その間、20時間ほど携帯の電波はほぼ届かない。半ば強制的に他者や社会とのバーチャルな繋がりを断つことになる。もちろん不便を感じることはあるのだけれど、この繋がりから断たれる“余白”時間が、これから始まる小笠原の旅をより印象深いものにする。画面の中よりも、目の前に広がるその瞬間に向き合い、楽しむこと、そんなことを改めて思い出させてくれるのだ。

     

     

     

     

     

    24時間の船旅は、想像以上に快適だった。夕日に見送られ、友人や家族と語らいながら夕食を済ませたら、ゆっくり寝て、夜が明けたら水平線から昇る朝日を眺め、朝食を取り、景色を楽しむ。

     

    気づけば、あっという間(というと言い過ぎかもしれないけれど)に“ボニンブルー”の海と島が見えてくる。父島だ。

    欧米文化が息づき活気ある父島

    小笠原で最も多く人が住んでいる(2,000人強)父島は、小笠原を尋ねる多くの旅人の拠点となる場所だ。おが丸が入港する二見港を中心とした大村地区に行政の施設や商店、宿泊施設などが固まって存在しているので、ここをベースにして旅をする人が多い。

     

     

     

     

    小笠原諸島が発見されたのは1593(文禄2)年と伝えられているが、人が定住したのは1830年、江戸時代後期となってから。欧米人5人が太平洋諸島島民とともに入植し、住み着いたのがはじまり。その後、幕府が小笠原の開拓を進め、日本人の入植者が増加。紆余曲折ありつつ、明治の始めには日本が統治することとなる。ところが、第二次世界大戦がはじまると、全住民が本土へ疎開させられてしまう(当時の小笠原の人口は今の2倍以上、父島・母島以外の島にも人が住んでいた)。戦後はアメリカ統治下となり、帰島は欧米系島民だけに許され、英語が公用語となり、教育なども英語で行われていた。その後、1968年に日本へ返還されるまで、アメリカの統治は続いた。

     

     

    欧米文化や統治時代の名残は、今でも父島のいたるところで感じられるし、その影響もあるのだろう、小さな街にはどこか小洒落た雰囲気が漂う。

     

     

     

     

     

    こんな風に、私が小笠原の成り立ち自体にも興味を持つようになったのは、これまで2度の滞在でお世話になったホテル「PAT INN」の影響が大きい。

     

     

     

     

     

    オーナーは小笠原の移民リーダーだったナサニエル・セーボレーの末裔。ホテル内には昔の父島の様子を捉えた写真や家族写真が飾られており、昔からこの父島では欧米から持ち込まれたカルチャーが息づいていたことがわかる(米軍ハウスのような白い壁の木造家屋も残されている)。ラウンジでは小笠原の歴史を辿ることのできる貴重な書籍なども読むことができるし、何か気になったことがあれば、彼らに訊けば何でも答えてくれる。特異な風土を持った小笠原は、研究している人も多いようで、調べれば調べるだけ文献や論文が見つかる。目の前に広がる世界にも、その歴史にも、知るべきエピソードが数多く詰まっている島だ。

    おかみさん手作りの彩り豊かな朝食は、和食・洋食が日替わり。夜はレストラン営業を行っていて、PAT INNのオーナー自ら腕を振るうイタリアンをアラカルトで頂ける。日常でも親しみある雰囲気の料理をワインとともに宿でサクッと頂けるようになっているのは、とてもありがたい。これまでの離島のイメージを良い意味で裏切ってくれる。

     

     

     

     

     

    グルメな方や記念日の滞在には、島の食材や素材を生かしたお食事が充実している「くつろぎの宿 てつ家(現在は「風土の家 TETSUYA」にリニューアル)」もおすすめだ。過日は特別に夕食を頂きに行ったのだけれど(通常は宿泊者のみ)、土地柄、手に入る食材も限られるはずなのに、それを全く感じさせない充実した美食の数々に感激。次は宿泊して、父島の食をTETSUYAさんの感性を通して味わい尽くしたいところ。

     

    他にも、こだわりのドリップコーヒーが頂けるコーヒーショップや気軽に入れる中華料理屋さん、朝イチで行かないと品切れになってしまう人気のパン屋さんなど、意外と食には困らない。

    一度も大陸とつながったことのない島ならではの自然

    2011年には世界自然遺産に登録された小笠原。大陸と一度も陸続きになったことのない海洋島ならではの豊かな自然は、好奇心を刺激してくれる。

     

    ”ボニンブルー”と呼ばれる紺碧の青に圧倒される海の美しさはもちろんのこと、ジャングルのような森に足を踏み入れると、そこは小笠原にしか生息しない固有種の生き物の宝庫。

     

     

     

     

    見たこともない草花や木々、野鳥などが独自の生態系を作り続けている。それらを守るために積極的に活動する島民の努力も垣間見れ、いかにこの島が愛されているかということがわかる。海岸などに設置されている公共施設がどれも清潔に管理されていることも印象的だった。

     

    冬はホエールウォッチング、夏はドルフィンスイム、通年で楽しめるダイビングやトレッキングなどのアクティビティを楽しむのも良いのだけれど、私のおすすめは散歩。

     

     

     

     

     

    街路樹や道端に落ちている花びら、何かの実、どこからか聞こえてくる何かの鳴き声。五感を使って、自然を感じる。3泊5日、1航海分の短い期間でゆったり、というのもなかなか難しいと思うから、ここはぜひ2航海以上滞在して、観光客目線だけではない、小笠原の日常を感じて、体感してみてほしい。さらに行動範囲を広げられるので、レンタサイクルを借りるのもおすすめだ。

     

    また、亜熱帯に位置し、年間を通して気温の変化が少なく、過ごしやすいことも大きな魅力だ。東京は冬真っ盛りの1月末でも、気温は22度ほどあり、日中は半袖で問題ない。ただし、真夏の日差しの強さはオーストラリアのそれに匹敵するそうなので、紫外線対策を忘れずに。

     

     

    また、父島は前述の通り、第二次世界大戦中は重要な軍事拠点とされていた。父島自体が大規模な空襲を受けたことはないそうだが、海底にはアメリカ軍の攻撃によって沈んだ軍艦、森の中や海岸線には砲台の跡など、戦跡が数多く残されている。

     

     

     

     

    なお、父島から約280km南下すると、そこには硫黄島がある。

    さいごに

    2021年に一度訪ねてから「おすすめの旅先は?」と訊かれるたびに、その名前を挙げてしまうくらい心を奪われてしまった小笠原。少しでも魅力は伝わっただろうか。

     

    旅の最後には小笠原で過ごした日々をさらに深く記憶に刻み込むサプライズが待っている。お世話になった島のひとたちへ「ただいま」と言えるその日まで、目を閉じればボニンブルーの海と白い波が追いかけてくる。

Staff Credit

Written & Photographed by Nagisa Ichikawa

About

泊まるように暮らす

Living as if you are staying here.

食べる、寝る、入浴する。
家と宿、それらがたとえ行為としては同じでも、旅先の宿に豊かさを感じるのはなぜなのか?
そんなひとつの問いから、yadoは生まれました。

家に居ながらにして、時間の移ろいや風景の心地よさを感じられる空間。
収納の徹底的な工夫による、ノイズのない心地よい余白……。
新鮮な高揚と圧倒的なくつろぎが同居する旅のような時間を日常にも。

個人住宅を通して、そんな日々をより身近に実現します。