Trip
Issue : 11
今帰仁 石蕗 | 森に抱かれ豊かさに気づく宿
豊かな原生林を有する、沖縄本島の今帰仁村にある一日一組限定の宿、今帰仁 石蕗。
およそ1000坪という広大な森の中にひっそりと佇む宿は、4年間もの歳月のなかで構想を積み重ねて生まれたそう。
宿に込められた哲学や、その空間から、豊かに暮らすヒントを学びます。
静寂が待つ、森の中に佇む宿
この日訪れたのは、沖縄本島のなかでも特に透明度の高い海と、豊かな原生林を有する、今帰仁村にある、今帰仁 石蕗(なきじん つわぶき / 以後、石蕗)。オーナーの新見 誠一さん・美也子さんご夫婦、設計士の山口 博之さんによって、構想を重ねること4年、2022年の冬に誕生しました。およそ1000坪の森の中に佇む、一日一組限定の宿です。
今帰仁村は、手つかずの豊かな自然が残り、行き交う人々や車ものんびりとして、昔ながらの沖縄の雰囲気を感じられる場所。海を横目に丘を登り、鬱蒼と草木が生い茂る森に入ると、見落としてしまいそうなひっそりとした看板が迎えてくれます。
広大な一つの森は、深山、里山、集落の三つのエリアに分けられています。集落エリアにある管理棟で、季節の旬の飲み物を味わいながら受付を済ませると、身体が静寂の空間に馴染んでいくのを感じます。
ゲストだけで占有するのは、里山エリア。扉を抜けてすぐ右手に現れるのが、離れにある半露天風呂の「草冠の棟」です。蓋を開け、湯に浸かり、鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら、その先に続く森を眺めると、優しい檜の香りと熱いお湯に日頃の疲れがそっと清められるよう。
さらに奥まった森へ細い道を進み、深淵な空気に包まれながら、森のなかを確かめるように一歩一歩進んでいくと、そこには宿泊棟である「路の棟」が。
まるで森の一部かのようにひっそりと佇み、今帰仁村と海を見守っているかのようにも思えます。その存在感のある美しさには、思わず息を呑むほど。
扉をくぐり階段を登ると、左手には、海を眺める特等席にそっと置かれた椅子。右手には、森に臨む書斎スペース。そして、奥にあるベッドに腰掛けると、目の前には開放的な風景が広がります。海を望む前方の窓、森を望む後方の窓を開ければ、部屋全体が森と海をつなぐ空洞となり、開放的な風が流れ、自然の香りが漂うのです。
階段を下り、右へ進むと現れるのが、食事棟である「石の棟」。古宇利島を正面に、丘の下には海が広がっていて、思わず伸びをしたくなる心地よさです。キッチン設備は揃っており、自分で料理をするもよし、七輪を使って焼肉するもよし、出張シェフを招くもよし。朝には、オーナーの誠一さん自らが釜戸で炊いたご飯と、淹れたての珈琲を片手に、差し込む朝の光を味わいます。
自然と建築の調和が織りなす、美しい空間と自然を丸ごと味わう空気感が特徴の宿、石蕗。
ここからは、石蕗の哲学や空間づくりに学ぶ、暮らしのヒントをご紹介します。
自分にとっての豊かさを知る
沖縄本島北部に位置する “やんばる(山原)” が持つ、力強い自然のエネルギーに引き寄せられるように、沖縄に移住。都心に住んでいた頃と比べ、体も心も、考え方も豊かに変化したというオーナーの美也子さん。
お金を払って便利さを買うことは、いくらでも簡単にできる。でも、便利なものだけでは人の心は豊かにはならないし、心の豊かさはお金では買えない。それは美也子さん自身の体験から来た、心の声でした。
「この森で、人を迎え入れられる場所を作りたい」と構想を始め、設計に入るまでの約1年間は、朝昼晩、森に向かったと言います。晴れの日も、曇りの日も、台風でも、長靴を履いて、草木をかき分け森と向き合い、気づいたことを設計士に伝える。この森は何を望むのか。この里山の人たちは、どういう思いでこの場所を築いたのか。そして自分たちは、ここで何を作りたいのかーー。
そこで辿り着いたのは、“なるべくそのままの森を残すこと” でした。
建物にかかる最小限の木だけしか切らず、仮に切ったならば、それは外に出さず再利用する。いつか石蕗を完全に無くすとしても、次の人の手に渡ることのできる、アンティーク家具を使う。朽ちたとしても森に還れる素材を選ぶ。そうして、森が求めていることを探るように構想を練っていったからこそ、ここでは “森そのものが、ひとつの宿” になっているのです。
都会と離れた森の中は、一見不自由で不便かもしれない。けれど、星空を眺めたり、雨が降ったならば大切な人と傘をさして歩く。そんな時間こそが記憶に残り、心が満たされるのかもしれません。
手の先の仕事を手放す “とき” をつくる
泊まるということは、日常にはない、もうひとつの自分の時間を持つということ。それは時に、普段とは違う色鮮やかな物語を作ってくれるものです。石蕗のホームページには、「手の先の仕事を放し、大切な方と共にいらして下さい」と書かれています。いろんな役割、いろんな自分を手放して、自分へのご褒美として、ただの自分で来てほしい。誰にも気兼ねなく、大切な人たちと過ごしてほしい。
実は都会のどこにでもある “ツワブキの花” 。ありそうだけど、探すとなかなか見つかりません。石蕗はそんな宿であると同時に、そうした日常では触れずらい、もうひとつの自分の物語に出会わせてくれる場所なのです。
夜になれば真っ暗で、朝になれば美しい景色が広がり、静寂と虫の声だけが自分を包み込む。そんな静けさの中にいると、日常では隠れている大切なことに気づく瞬間が芽生えるものです。それらを机に置いてあるメモに書き留めて、自分とひっそり向き合う。まさに手の先の仕事を手放して、丸裸の自分でいられる時間がここには待っているのです。
例えば家でも、お香を焚くことを一つのスイッチにしてみたり、自分が一人になれる場所や時間を作ってみる。普段の役割からちょっと放してくれる、そんな “とき” を設けてもいいかもしれません。
yado's pick up item
石蕗のなかで、今回注目したのは、アンティークの家具。
新見さんご夫婦曰く「アンティークは、自分のものではない」そう。お金はもちろん払うけれど、一時的に借りているだけ。つまり、次の方に繋いでいくもの。いずれ然るべきときが来たら次の人に譲り渡していく。
石蕗では、照明や椅子、テーブルもアンティークで揃えて、時代の預かり物を大切に受け継いでいました。買って、捨てて、終わりではないモノを買うこと。その時代の空気、その時代を生きた人、記憶、それらを受け継いで、経年劣化を慈しみながら、次に繋いでいくこと。そんな新しい観点で、家具を選んでみるのはいかがでしょう。
いろんな役割を脇に置き、優しく自分と向き合う時間や場所をつくること。そんな時間や場所を通じて、自分にとっての豊かさを知ること。
あなたらしい豊かさをテーマにおくことから、本当の家づくりははじまるのかもしれません。
Editor’s Voice
-
受付が始まるや否や、時間の流れがゆっくりになり、昔ながらの暮らしにタイムスリップしていくような不思議な感覚を得た。植物染めの装いに身を包み、髪をひとつに編んだ美也子さんが、丁寧に会釈をし、飲み物を淹れてくれる。その佇まい、空気感から、彼女の人生の奥にあるものに触れて、それだけでもう、なんだかここに来てよかった、と思えた。森と対話して、構想を練り、4年をかけたというこの場所。この森と、ここに関わった人たちの、真摯に積み上げてきた人生の奥行きが、確かに表現されているように思えた。
Maya Mizuta (writer)
-
取材の後で「路の棟」の窓を開け放って、風に吹かれながら外を眺める美也子さんの表情、その横に並んで眺めた景色が忘れられない。私たちはもちろん、建物も、周りにいる草木も、皆一つになってこの景色を眺めているような、なんとも言えないあの感覚も忘れられない。もしこの先人生に悩むことがあったら、その時必ずここを訪れたい。そう思える宿に初めて出会った。
Chiaki Miyazawa (yado)
Staff Credit
Written by Maya Mizuta
Photographed by Kazumasa Harada
-
Hotel Information